Our Love In War Time

音楽、映画、本と、生活について

2018-06-25

ちょっと早めに起床。夜中のあやしを妻にやらせてしまったので、妻のお母さんがくるまで娘をあやして妻に寝てもらう。

 

妻のお母さんは週1くらいのペースで来てくれて本当にありがたい。ご高齢なのであまり頼りすぎるのは…というのも本音だけれども、娘(孫)に会うのを楽しみにしてくださっているのでいいのかなとも思う。どこかできちんとしたお礼をしないとな。

 

お母さんが帰られた後は靴箱の整理など。上部にデッドスペースがあるので、そこに災害用の非常食を入れたりした。今思ったけど、あそこに使ってない大きめのバッグとかを持ち出し用に置いた方がいいな。

最近は大阪の地震もあったので、災害対策をやりはじめた。といっても非常持ち出し袋を作ったくらいだが。自分たちのぶんと娘のぶんと猫のぶんがあるのでわりと大荷物である。リュックを昔使っていた登山用の30Lのものにしたので、なんとか入りきるくらいではあるのだが。避難となると娘と猫は我々で運ばなければならないので、そうするとリュックと猫を自分、娘を妻という感じだろうか。自分が家にいないタイミングのことはあまり考えたくないが…

 

今日で育休も残り2週間を切った。復帰後は、夜中の授乳はこれまで通り担当して妻に寝てもらう、というつもり。朝7時前には出なければならないのでそれまでだが。体力が続くかが問題である(急ピッチで体力づくりの筋トレをしているが)。夜さっさと寝て睡眠の絶対時間を増やさないとおそらく回らないので、早く帰ってくるしかないな。

 

前向きなことをけっこう書いたけれど、精神的にはそんな前向きでもない。ずっとではないけれど、ふいに悲しくなってしまうタイミングがあって、なんて言えばいいのか、こころが耐えられないときって、ありますよね?

今の時代は正論がとても力を持っていて(当たり前かもしれないけれど)、でも正論だけでは掬いきれないものごとでこの世は作られていて(正論ですべてが回るのならみんなこんなに悩んだり議論したりしないですよね?)、その中で正論ではない側のひと、ある種「正しくない」ひとはいくらでも正論で殴っていいという風潮になっていて、ぜんぜん誰も味方がいないように思える。そう思うのは僕が「正しくない」側の人間だからだと思うけど。

どんなひどいことをしたやつ(簡単にいえば人を殺したり、とか)も、そう言いたい誰かに「でも君もつらかったんだよね」「わかるよ」って言ってもらってもいいと思う。だってそうじゃなきゃ、間違ったひとをぶん殴ってばかりだったら、誰もそのひとのことをわかってくれなかったら、この世に出口なんて、救いなんてなくなってしまうじゃないですか。

なんだかよくわからない話になってしまったけど、僕は正論ばかり話して勝った気になっている人間にはできるだけなりたくない(いや、ならなければならないときだってもちろんあるけれど)、こころのつらさを抱えている、「正しくない」ひとの側に、時には立ちたいな、と思う。「時には」っていうのがまた、とても難しいことだと思うけど。

 

そんなことを、この詩を読みながら思いました。

裸足で氷の上を歩くようにしかコミュニケーションを取れない僕
裸足で氷の上を歩くようにしか人を愛せない僕
なぜだろう
皆はすらすらっとプロスケーターのように滑るのに
僕はすってんころりん
上手に滑っていく人もいるし
エヘヘと笑ってく人もいる
嘘ついて嘘ついて
嘘ついて嘘ついて
嘘ついて嘘ついて
裏切って逃げて
これは本当の僕じゃない
僕は寂しがり屋だ
僕は生まれてよかったのだろうか
何を着ても
何を履いても気持ちが悪い
時代とうまくやっていけない
友達とうまくやっていけない
というか友達がいない
生きていていいのだろうか
今まで人に本当のことを話したことがない
本当の僕は君と川を泳ぎたい
真夜中に泳ぎたい
裸で泳ぎたい

 

岡村靖幸樹氷