Our Love In War Time

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燃え殻「ボクたちはみんな大人になれなかった」

 

ボクたちはみんな大人になれなかった (新潮文庫)

ボクたちはみんな大人になれなかった (新潮文庫)

  • 作者:燃え殻
  • 発売日: 2018/11/28
  • メディア: 文庫
 

 

美しかった90年代に生きられたひとのことを、僕はいつも羨ましく思うけれど、それは青い芝生を見ているのと同じ単純な話で、10年単位で何回も何回も繰り返されてきたことなんだろうな。そして「あの頃はよかった」なんてカビの生えたフレーズを使わずとも、10年来の友だちと酒場でクダを巻きながら、話したくもないのに話してしまうのも、きっといつもどこでも繰り返されてきた、と思いたい。

 

それは別に今がクソだからじゃない、明らかにうまくいかなかったこと、失敗したことは10年くらい経てばある程度は客観視できるようになって、贅肉みたいについた、若い時とは種類の違う根拠のない自信、いや、傲慢さが、「今ならもっとうまくやってみせる」なんてバカなことを思わせる。「もしも、間違いに気がつくことがなかったのなら?」戻れないことについて、思い出して涙を流すくらいにセンチメントを保っていれた方が、本当は何十倍もマシな人間なのかも。

 

この小説(でいいんだよね、たぶん)を読んだとき、ヒロインの1人の「カオリ」の描写にとてもびくっとした、というか、古傷を抉られた感覚があった。僕は10代の終わりから20代のはじめくらい、根拠のない自信はものすごくあって、それと同時に根拠なく全く自信がなかった、文章で読むと何を言ってるのかわからないと思うけれど、本当にそういうことがあるのだ。そういう自己表現欲にまみれている人間にとって、他者からの評価、肯定というのはものすごくかけがえのないものだった(僕自身、前身となるブログにもらったコメントで嬉しかったものは今でも覚えている)。それが、価値観(好きなもの、嫌いなもの程度かもしれないが)の似通っている、現実の異性ならなおさらだ。

君の書く文章が好き、君の歌声が好き、君の曲が好き。それは、見た目がかっこいいとかおしゃれだとか、そういったものよりも一段階高い、「本当の自分」(この後に及んでこんな言葉を使いたくなかった。。。)を評価されているように思えて、とても嬉しかった。もっと言うならば、生きていていいんだ、と言われたような気がしていた。

 

まあ、たらたらと書いたけれど、僕も似たような体験をしたということだ。僕は学生だったけどね。

年何回したかわからないセックス(1日1回以上として、、、あまり数えたくないな)、好きな音楽や映画の話を振ればすぐに話が通じる相手がいるという嬉しさ、存在そのものを認められている気がしていた、まあ、相手にとってもきっとそうだったんだと思う。

 

すっかり東京も僕も様変わりして、時代は流れて、あの頃いた人たちはしばらく会っていない人の方が多い。死んでしまったやつも何人かいる。僕はまだしぶとく生きているし、彼女たちもたぶん、まだこれからも生きていくだろう。

 

大人になる、ということが未だにはっきりわかっていない、結婚したり子どもができたから大人になるわけでもないし、ましてや20歳になったから大人になったわけでもないだろう。

感傷を立派に振り切れるようになったら大人か?

 

そういう意味では、僕も大人になれなかったひとりなんだろう、いや、そのひとりでありたいと思う。